アドリブ(即興演奏)てなに-2

ポピュラー・ジャズ音楽理論講座

ジャズのアドリブ

未来に向かって同時進行

みんなで4人(カルテット)

ここでお話するのは、アドリブを演奏する上での技術的なものは一切ありません。 どちらかと言うと心意気というようなところのお話ですので、ご理解のほどお願いいたします。

あなたのバンドは、テナー・サックスを演奏するあなた、ピアノ・プレイヤー、ベース・プレイヤー、そして、ドラム・プレイヤー の4人です。ガイド・ライン(前レッスンを見てください。)の周りを自由に飛び交いながら私たちのバンドの演奏は、即興へと突入してゆきます。演奏している曲は、 ♪=70ぐらいのボサノバのリズムにしましょう。ピアノのイントロから始まりテーマが演奏され、つづいて各プレイヤーの即興演奏 に進んでゆきます。

●テンポ

「スタートレック」のエンタープライズに乗って宇宙を駆け巡る壮大な冒険旅行とはいきませんが、もっと身近なところで別の世界に 自分の意識を拡散しましょう。たとえば、あなたは北アルプスあたりの温泉地帯にすます。深い緑の大自然の中の沢の岩の窪みにできた天風呂につかっているとします。もちろん私たちメンバー全員です。 同じ露店風呂の中にいますので湯加減のほどは同じように感じているはずです。同じ湯加減というところが全員が意識せずともキャッチできる共通素材です。 これを音楽で言うところの「テンポ」という言葉を置き換えることにしましょう。さて、大自然の中の露天風呂で4人全員が同じテンポ感に浸っています。 「テンポ感」という言葉は何かしっくり来ない方もおられるかもしれません。 普通は、「テンポ」だけで「感」という文字はつきません。「テンポ感」は、「テンポ」という言葉よりももっと「アナログチックな意味」で使っ ています。二つの単語で表現しようとしていることの違いはこんな感じになります。

  • ●1秒づつ4つカウントして、「1小節」4秒。
  • ●4秒「1小節」をだいたいて4等分して一拍。

こんな説明ではお分かりになってもらえないかもしれません。もう少し実際の演奏に沿って説明させていただくまえに大前提は、各プレイヤーは それぞれ固有の感性・感覚、はては人生感をもっているはずです。すでにバンドの演奏が始まっていて、これからいよいよアドリブ・セクション に突入するというところですが、ここまでは拍がずれる事もなく演奏してこれました。しかしながら、最初に出されたテンポとは若干ですが速くなったり、 遅くなったりしているかもしれません。それでも良い感じで演奏することが出来ました。これは、お互いがコミニュケーションを取り合い無意識に微調整 を行いながらトータルな音世界の中で共通したベスト(ここが快適なポイント)に近いと思われる何かを感じているからです。音楽が時間とともに 前進していくことを歩くことにたとえみましょう。次のベストな一歩は右足を右30度、前方50cmが最適ポイントであるということを前もって把握するには、 各プレイヤーがある程度前方を見ている必要があります。足元を見ていては、前方にある水たまりを回避することができないでしょうし、実は時々やってしまうのですが 犬や猫のウンチを真上から直撃してしまうかも知れません。後の手間を考えると避けたほうが無難だと思われます。足元を見ていると1,000円札が風に吹き飛ばされる前に発見できないかも しれません。。未来というと大げさかもしれませんが、これから起こるであろう何かをみている(感じる)ことが大事で必要なことだと思えてなりません。 せいぜい一歩先、1mぐらい先を見ていればとりあえずは、ウンチを直撃することは避けることができると思います。未来というのは、一小節先、二拍先などのすぐ先の未来です。 そして大事なことをもう一つお話しておかなければなりません。

ここでは「テンポ」や「テンポ感」についてお話していますが、その「テンポ」についてですが、今行われている演奏の目的は「テンポ」をメトロノームのように キープすることだけではありません。というよりも、「いい音楽を作る」ことと「テンポ・キープをできる」というこが直結しているわけではありません。 遅くなっても速くなっても良い演奏は「良い演奏」なのです。誰かが「テンポが遅くなってきたので速くしよう」と思った瞬間に4人の均衡が崩れて快適な未来が崩壊して しまうかもしれません。誰かが「テンポ」が「遅くなったとか早くなり過ぎた」などと意識せざる負えなくなったの時点ですでにバンドの音楽は良い方向に向かって進んでいません。 実際に即興的な演奏の瞬間瞬間においては、自然発生的でない流れに沿わない意識は、微妙にバランスをとりつつ構築されてゆく音楽、この場合はより良いと思われる「即興演奏」の 効果的要素にはならない事が多いです。これから始まる即興演奏に原則として各プレイヤー4人には、ザックリした方向はあっても 詳細な「計算」はありません。というよりも「計算」があってはバンド全体の演奏の未来に対応できなくなってしまいます。なぜなら、4人が4人自分自身のあらかじめ計算して出来上がった事 各自の予定通り実行してしまうと、どうなるか想像してみてください。もとから4人それぞれが思い描く絵は違うはずですから、みんながみんなそれぞれの思いを押し切ろうとしたら、 上手くゆくとは思えません。過去の計算かあるいわ1分前に作った予定があってもなくても、他のプレイヤーは自分とは違うであろう事を感じでそこから表現してくるわけですら、どだい最初か 「違う」のです。だとするとあまり短絡的で的確な言い方でないことはわかっているのですが「その場しのぎ」ができないと上手く音の海を泳いで反応し続けることが出来ないかもしれない思います。 この「その場しのぎ」については、別の機会にお話したいと思います。私は、実は「究極のその場しのぎ」をどんな状況にあっても実行できるようにしたいと考えて練習しています。 ちよっと話をもどしてテンポそのもののお話をしますが、仮に4人に他のプレイヤーの音が聞こえないように耳栓をして演奏してもらったら、どのようになるでしょうか。多分、テーマを 演奏し終わる前に各プレイヤー同士にズレが生じてくると思います。お互いの演奏が聞こえていないのですからアンサンブルになりませんし、一緒に演奏する意味がありません。 一緒に演奏するということは、何か溶け合うかぶつかり合うか、あるいは、そのどちらでもない状態をあらかじめ理解した上でのトライです。上手くいけば、一人で演奏するよりもずっと 楽しく面白い状況を作り出せるかもしれないし、それがお互いのさらなる成長を促してくれるかもしれません。アンサンブルの意味は、ここにあります。共鳴と反撥の繰り返し、融合と分裂の 繰り返し・・。一人だけでは絶対に感じれない躍動感、一人では絶対にできない発見、一人では絶対にできない感動を体験できます。 ううぅぅ・・また、本筋からそれてしまってすみません。

●その場しのぎ

実際のアドリブ(インプロビゼーション)には、自分なりに感じるところでは、そのアプローチの仕方にいくつかのタイプがあるようです。ここでは、アドリブに挑むに あたっての、バンドではなく私自身の心の在り様を考えてみようと思います。そんな事を深く考えたことはいままでありませんでしたので。一つ目のアプローチの方法の 説明は、まさに「その場しのぎ」という言葉にふさわしいものです。まったくの「0(無)」は、ありえないのですができる限り「無」に近い状態から、スタートするやり方です。 フリー・ミュージックやフリー・ジャズを演奏するにあたって何が起こってもそのまま「受け入れる」ことの出来る心構えをつねに心がけています。まさに「その場しのぎ」なのですが、 未来に繋げてゆくことを願った「その場しのぎ」です。よく言われるように「瞬間瞬間を大切に」、そして「瞬間瞬間」の積み重ねが未来につながってゆきます。もう一つのアプローチ の方法は、やっぱり「その場しのぎ」を基本にしたものであってほしいと思うのですが、「あらすじ」があらかじめ与えられている場合のやり方です。例えば、スタンダード・チューン をオーソドックスなスタイルで演奏したいと思うような場合です。具体的な音楽素材があって、それを自分たちの感性や解釈、演奏方法で変奏するような方法で、一般的に ジャズにおいていのアドリブは、このやり方がほとんとほだと思います。テーマがあって、そのテーマを変奏するやり方は、クラシック音楽というか、音楽の伝統の一つ なのですが一般的にジャズにあっては、あらかじめ用意された(した)テンポ、メロディー、リズムのグルーブ、コード進行などをもとに変奏、発展を続けてゆきます。たとえ話で恐縮ですが これは、ある意味目的地がだいたい決まっていて、そこまで行くためのルートの選択の自由を楽しむようなやり方です。ただし、その目的地に向かうルートには、高速道路、ひたすら山道、 永遠砂利道、移動手段としては自動車、荷車、三輪車など多々あります。プレイヤーの技術や熟練度、経験、知識なども大きく影響してきます。これに対して、目的地が あらかじめ決められていないか、知らないまま、スタートしてしまうタイプの音楽もあります。もう少し言ってしまうと、どこから出発するのかも知らないまま、知らない場所に 放り出されてしまいます。どこに放り出されるかっていうと「無限(?)の宇宙」へです。この場合「音の宇宙」ですね。「スタートレック」に戻りましたが、これって「究極のその場しのぎ」 かもしれません。

つづく・・・。