ボイシングのおしるこの隠し味

ポピュラー・ジャズ音楽理論講座

甘辛のバランス

「おしるこ」は、砂糖ばっかしじゃなーい。

甘さの中にも塩味がある

●お汁粉

「お汁粉」をご存知ないかたのために少しだけ説明させていただくと、どちらかというと甘みの多い身体も心も温まる代物です。 こちらに解説があります。

●隠し味のお塩を少し

甘いだけでは美味しいお汁粉にはならないようなのです。つまり、お塩をほんの少しだけ加えることで甘みがよりいっそう引き立つようなのです。 「甘さ」と「塩っ辛さ」というのは180度反対方向にあるものなのかどうなのかはさておいて、「美味しい」とか「美しい」とかはいう表現や感覚は、 共通するものや相反するものとの「バランスの中」にあるのかもしれませんね。「黄金比」などはそういったものの一例なのでしょうか。さて、 ボイシング(音の積み方)をザックリ、それぞれ独立した異なる音程で、ほぼ同音質の音と音の集合体だと考えてしまいますと、その音の集合体の個性を きめているものはいったい何でしょうか。それは、言わずもがな「それそれの音が作り合う音程」ということになると思います。機能的な和声としての 音の積み方ではなく、とにかく音が積み重なって全体として和音が聞こえてきているという状態を「なんでも積音状態」とよぶことにしますと、この 「なんでも積音状態」でのボイシング全体での発生する音程は、各音と音が作り出す音程、ならびに、その各音からでてくる倍音まで考慮しつつ考えると、 もし、独立した8音でもってボイシングするとなると少なくとも-8!-通り(単純計算)以上の音程が生じます。ここでの説明には、ちょっ と多すぎると思うのでのでせめてもの4音で考えてみることにします。すると、6通り?の個別の音程を作られることがわかります。

●ボイシングの趣

ほぼ同時に積み重ねられた音の趣は、何によってもたらされているのかということを考えてみると、たとえば「グレン・ミラー・オーケストラ」と 「デューク・エリントン・オーケストラ」がまったく同じ譜面を演奏したとしても、それぞれのバンドの生み出す「サウンド」は、違ったもの になるということは容易に想像できます。同じ譜面、同じテンポであっても演奏する人それぞれの個性によって色々な趣の音になるのですがら、面白い ともいえると思います。「使用されている楽器」「個々の音色・音量」「音の積み方」「イントネーション」等々、多くの要素が重なり合って 「サウンド」が作られてゆきますから、演奏者が異なれば違うサウンドになるのは当然と言えば当然のことなのですが、そうでない場合もあるかもしれません。 もう少し違った言い方をさせてもらうと、たとえ同じ譜面であっても人間であるがゆえにその時の気分や体調によって奏でる音が微妙に違ってくるものですから、 、厳密には同じサウンドを再生できません。生の音楽の良さはこのあたりにもあるのではないかと思えます。CDやコンピューターは、同じサウンドを保障してくれ ますが、ライブは違います。すごくいい演奏になったり、また駄目だったりで音楽演奏のライブは、本当に生身の生き物と同じです。このあたりに「Art」が ひそんでいるのかも。余計なことをお話ししてきたかもしれませんが、上記のような個々の演奏家の個性や調子・気分などの具体的に計量できない部分を除いて 「ボイシング」のお話をつづけてゆくのですが、最終的に行き着くところは「個々の演奏家の個性」となるのだと思います。(おっとっと私は何を言っているのか 分からなくなってきました。)このあたりも面白いと思うのですが、形や重さがなくて具体的に計算できないようなものをどうやって勉強するのか? 不思議なもの ですよね。またまたたとえ話で申し訳ないのですがあなたが画家を志している画学生で「ゴッホ」さんのアトリエにいて、今まさに彼がキャンパスに向かって描いています。 さて、あなたは「ゴッホさん、あなたのように絵を描くにはどうしたらよいのですか。?」と尋ねます。彼はなにも答えてくれません。そのとき彼が使っている「絵筆」の メーカーや「パレット」のメーカーをお尋ねになったりするでしょうか。おっとと・・・飛躍しすぎました、すみません。

「音程」はある程度数量として計算できるのでこの「音程」を目安にすることにしたら、ある程度は足し算引き算できるものに変換することが出来るかもしれません。 このように考えることが適当なのか適当でないのかはクリンゴン星の彼方に放って置いて、お話を進めて行きますのでよろしくお願いします。

●音程を区別してみると

前章で「協和音程」と「不協和音程」を取り上げましたが、どうもこの区別は時代、それぞれの人の感性、音楽の種類などによって多少違ってくる のかも知れません。音程は周波数の比として数量化することができますが「音律」との関係になどにも少し微妙なものもあるのでここでは単に「音程」 とだけしておきます。私たちの普通に使っている「ドレミ・・・」を基本において考えていることが前提で、「協和音程」と「不協和音程」を分類しますと 次のようになります。

  • ・「協和音程」--> 長三度、短三度、長六度、短六度、完全五度、完全四度、完全一度、完全八度
  • ・「不協和音程」--> 短二度、長二度、長七度、短七度、増四度
[蛇足]

「Low Interval Limit」(ロー・インターバル・リミット)という言葉をご存知でしょうか。ディソナンス(協和音程)、コンソナンス(不協和音程)は、 時代とひょっとすると同時代においても個人差があって少しそれぞれの範囲にずれがあるかもしれません。上記の「不協和音程・協和音程」の説明と比較 するには少しトンチンカンになるかもしれませんが、この-L.I.L.-にも個人差が出てきてしまいます。この場合の説明は音を奏でる側ですが、ある二音間 の音程がそれ自身の音程として聞こえるためには、低域に向かって限界があります。この限界は、楽器によっても演奏家によっても変わってきます。演奏家の奏でる音の倍音の 質と量によってこの「ロー・インターバル・リミット」は変化してしまいます。つまり、演奏家の技術に大きく影響されてしまいます、特に低音域でですが。 このL.I.L.は、倍音と深く関わっていますのでそのような事になるのですが、また、別の機会にまた詳しく書きたいと思います。いったい「お汁粉の隠し味」は、 どこにいってしまったのか・・すみません。つまり、「美味しい音」を作るためには、ちょっとした「苦味」が必要なのかも・・ということです。 この「苦味」のことを「不協和音程」と言いたい自分自身に気づいているしだいです。

力尽きました、今日はこの辺りで終わります。